クラブ旗の由来

クラブ旗の由来

岐阜東ロータリークラブのこの地域は、美濃地方で最も古くより開け、色々な史実、行事がありました。縄文土器の出土地として知られ、また古墳群がいくつかあり、その中で最もよく知られているのが通称、琴塚古墳です。そしてこの地域には、 さまざまな歴史的事実が多くありましたが、今は昔の豪族の威容を知る由もありません。今は唯、古墳の形を残し琴塚公園として、地域の皆様に親しまれています。

ロータリーが創立されて、一世紀。今や全世界にその運動が拡がり、まだ発展途上ではありますが、人類の文化の上に大きな足跡と実りを残してきました。

岐阜東ロータリークラブもその一員として、成長し、発展し、ロータリー運動に何がしかの役割を果たし、歴史に一頁を残したいと願っております。このバナーのもと、親睦と連帯を深め会員一人一人が、奉仕の理想を実現する努力をしています。どうぞ今後とも、全世界ロータリアンの皆様の温かいご支援を宜しくお願い申し上げます。

琴塚古墳

琴塚古墳 入り口

金華山の南東、平地に築かれた巨大な前方後円墳です。前方部を南南西へ向けた墳丘の全長は115メートルあり、市内最大、県内でも有数の規模をもちます。

後円部の直径が68メートル、前方部前端の幅がこれより少し大きくて72.5メートルあります。前方後円墳は、初めは後円部より低く狭い前方部をもっていましたが、次第に前方部が高く大きくなっていって、やがてその幅が後円部直径を超えるようになりました。琴塚古墳は後円部直径と前方部幅に大きな差がなく、最盛期の姿をよく示しています。埴輪の破片の他は出土品がほとんどなく、内部構造も不明ですが、この形から5世紀に築かれたものと推定されています。

琴塚古墳 全景墳丘は今は自然林となっていて明瞭ではありませんが、当初は3段に築かれ、斜面は葺石で覆われていました。前方部と後円部が接続する部分の左右には、造り出しと呼ばれる小さな壇状の張り出しがあります。造り出しには祭壇が定形化したものという説があります。

琴塚古墳の特徴の1つは、墳丘の周囲の堀(周濠)が2重になっていることです。外堀は7.8メートルと思われますが、現在はほとんど周辺の畑などの下に隠れていてはっきりしません。しかしよく見ると、古墳の北側や東側の一部に、くぼんだ場所があって、外堀の存在を示しています。内堀は幅18~32メートルありますが、現在は水がないので、ここまで立ち入ることができ、墳丘の大きさを目のあたりにすることができます。

琴塚古墳 周辺図琴塚古墳の周辺には、各務原市にかけて、前方後円墳と多数の円墳で構成される古墳群がありました。4つの前方後円墳のうち、琴塚古墳の他は各務原市の柄山古墳(県史跡・全長91メートル)が残るのみですが、ここが大古墳の集中する重要な地域であったことが分かります。琴塚古墳はこの古墳群の中心をなすもので、きわめて貴重な古墳といえます。

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